ヴィヴィアンウエストウッド。スクイグル柄、ロッキンホース、アーマーリング、ジャイアントオーブ、初期アナーキーシャツ、1980年代~のアイテム高価買取いたします。
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コンディション:B
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コンディション:B
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2021年入荷済
◆Vivienne Westwoodとは。歴史と年代。
ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)は、本名ヴィヴィアン・イザベル・スウェア。1941年4月8日、イギリス中部のダービーシャー州で生まれました。
元々は画家志望でしたが、生計を立てるためにアート講師として活動し、2児の子どもを設けます。家庭に入っていたヴィヴィアン・ウエストウッドは、安定してはいるものの、知的好奇心の満たされない生活に辟易とし、自由に個性を表現する「ビートルズ」や「マリークワント」を見たことをきっかけに、大学に再入学します。
幼い頃からファッションの虜で、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が確立した「ニュー・ルック」と呼ばれるスタイルに強い影響を受けます。 絵を書くのが得意で画家を目指しスクールに入学するも、1学期で中退し、生活していくためにアート専攻の教師の道に進むことを決意しました。
二人の夫との出会い
そのころ結婚した一番初めの夫の姓がウエストウッドであったため、以後、ヴィヴィアンウエストウッド(Vivienne Westwood)と名乗ります。 その後男子をもうけましたが、3年後の24歳の時に離婚します。モデル・マリークワント(MARY QUANT)の影響を受けて大学に再入学し、歴史を専攻します。 この時期に、仕事上でも私生活でもその後の人生の長年のパートナーとなる、マルコム・マクラーレン(Malcolm McLare)と出会い、次男も誕生しています。
◆ブランド「ヴィヴィアンウエストウッド」の誕生
当時のトレンドであったヒッピールックを拒否し、ロックを軸に置いたエキセントリックなファッションを発表し、ロンドンの若者から熱狂的な支持を受け、自身の名を冠したヴィヴィアンウエストウッドを発表します。 ヴィヴィアンは70年代後半から歴史に興味を抱き過去のファッション研究を始め、イギリスのトラディショナル、クラシックとの融合を追い求めていきます。このようにヴィヴィアンはアンダーグラウンドから徐々に表舞台に移行していきました。 1982年10月には、マリークワント以来2人目の英国人デザイナーとして、コレクション発表の場をパリに移し、1984年後半には13年間パートナーを務めたマルコムからも独立します。
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 1971〜1980
ヒッピームーブメントは1960年代後半のロンドンで最も人気のあるファッションでしたが、若いヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンの興味を引くことはありませんでした。彼らは、反抗的行動や、1950年代の典型的な服装や音楽、アイテムにはるかに強い関心をもっていました。
ヴィヴィアンは、マルコムのためにテディボーイの服をデザイン、製作したことを皮切りに、1971年にロンドン、チェルシー地区のキングスロード430番地に「Let it Rock」という小さなブティックをオープンしました。
1年後、ヴィヴィアンの興味はバイカーウェア、ジッパー、レザーへと移りました。店はどくろとクロスした骨のマークでリブランディングされ、ショップ名は「Too Fast to Live, Too Young to Die」へと変更されました。
ヴィヴィアンとマルコムは、挑発的なスローガンをプリントしたTシャツをデザインし始めましたが、これにより、1959年猥褻物出版法違反で訴追されることに。彼らはこれに対し、ショップを再びリブランディングし、ハードコアなイメージのTシャツをさらに多く作りました。
1974年にショップ名は「Sex」に変更され、“当時のイギリスで他に類を見ない”と言われた同ショップは、「オフィス用ラバーウェア」というスローガンを掲げました。
それから2年後、マルコムがマネージメントした人気バンド、セックス・ピストルズの楽曲『God Save the Queen』がヒットチャート1位に輝きましたが、BBCはその放送を拒否しました。その後ショップは「Seditionaries」として再出発。隠されてきた性的フェティシズムやボンデージに由来するストラップやジッパーをファッションへと昇華させ、D.I.Y.の精神に刺激を与えました。マスメディアはこれを「パンクロック」と呼ぶようになります。
しかし、セックス・ピストルズが解散したこと、そしてパンクがメインストリームに躍り出たことにヴィヴィアンは幻滅するようになります。1980年にショップはリニューアルされ、その名は現在でも使われている「Worlds End」に変えられました。
・ショップ名の年代
1971 Let It Rock
1972 Too Fast To Live Too Young To Die
1974 SEX
1976 Seditionaries
1980 World’s End(2026年現在も営業)
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 1981〜1987
1984年、西ロンドンのショップ「Nostalgia of Mud」(現在の「Worlds End」)は閉店となり、ヴィヴィアンはイタリアに拠点を移しました。
ヴィヴィアンは、東京で開催された森英恵主催のグローバル・ファッション・アワード「Best of Five」で、カルバン・クライン、クロード・モンタナ、ジャンフランコ・フェレらと共に招待を受け、1984年春夏コレクション「Hypnos」を発表しました。
1988年、ロンドンのデイビスストリートにVivienne Westwoodの新たなブティックをオープン。
1986年、伝統を未来へと引き継ぐことを象徴する、「オーブ」ロゴが初登場。
1986年、カルロ・ダマリオがVivienne Westwood Ltdのマネージングディレクターに就任。
1981年の「Pirate」コレクションは、ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンが初めて公式にコラボレーションしたランウェイショーです。海賊のガレオン船や海賊船をモチーフとしたこのコレクションは、ブティック「The Worlds End」のテイストを伝えるものでした。ゴールド、オレンジ、イエローを使ったロマンチックなルックをそろえたこのコレクションは、ロンドンのファッションシーンに衝撃を与え、ブランドの存在感を確固たるものとしました。
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 1988〜1992
ジョン・フェアチャイルドの1989年の著書『Chic Savages』の中で、ヴィヴィアンは、アルマーニ、ラガーフェルド、サンローラン、ラクロワ、ウンガロとともに、世界のトップ6デザイナーの1人として紹介されました。
1989年から1991年まで、ウィーン応用美術大学のファッション教授として任命されています。
1990年12月、ロンドンのメイフェア地区デイビスストリートに新たなブティックをオープン。
1990年と1991年の2年連続で、英国ファッション協会より「Fashion Designer of the Year」を受賞。
1992年、バッキンガム宮殿でエリザベス二世女王陛下より大英帝国勲章を授与されました。
1992年、コレクションでウェディングドレスを発表。
1992年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の名誉シニアフェローに就任。
1993年、ウィーンで教鞭をとっていた1988年に出会ったアンドレアス・クロンターラーと結婚。
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 1993〜1999
1992年から93年にかけて、Vivienne Westwoodはスウォッチとコラボレーションし、Puttiウォッチ、Orbウォッチを製作。
ロンドン中心部のコンジットストリート43番地に新しいブティックをオープン。
1993年、ヴィヴィアンは、ベルリン芸術大学のファッション教授に任命されました。
彼女はそのクリエイティビティを注ぎ込み、1993/94年秋冬コレクション「Anglomania」のためのオリジナルのタータンを制作し、自らのクラン「MacAndreas」を設立しました。タータンの承認には通常200年もの年月が必要ですが、タータンメーカー「Lochcarron of Scotland(ロキャロン・オブ・スコットランド)」がこれを正式に認定。これはヴィヴィアンにとって大きな功績となりました。
1996年には、ファッションとアートの関係を検証するチャンネル4のテレビ番組シリーズ「Painted Ladies」にヴィヴィアンが出演し、中世、ルネッサンス期の古典アートに描かれた衣装について考察を述べました。
1997年には、ロンドンのコンジットストリート44番地に、新しいブティックがオープン。
1998年、Vivienne Westwood初のフレグランス「Boudoir」を発売。これは「世界の鼻」として有名なDragoco(ドラゴコ)社の調香師、マルティン・グラと共同で開発したものでした。「私の香水は『Boudoir(ブドワール)』と呼ばれます。ブドワールとはドレッシングルームであり、同時に身に纏ったものを脱ぐ場所でもあります。それは女性の空間、女性が自分自身と親密な関係になる場所、自分の欠点と可能性に向き合う場所でもあるのです(ヴィヴィアン)」
1999年、Vivienne Westwood Red Labelが誕生。このプレタポルテラインは、サヴィルロウのテーラリング、フレンチクチュールに対するヴィヴィアンの探求を融合させたものです。
1999年、Vivienne Westwood初のニューヨークブティックがオープン。
1996年、ミラノでVivienne Westwood MAN Labelが誕生。
東京に、英国外では初となる、Vivienne Westwoodのライセンスブティックがオープン。
1998年、Vivienne Westwoodのアーカイブコレクションから着想を得たディフュージョンライン「Anglomania」誕生。若々しいコレクションは、ヴィヴィアンの象徴的なテーラリングとドレープシルエットにオマージュを捧げたもので、「SEX」「Pirate」「Mini-Crini」「Bondage」コレクションのスタイルを網羅しています。
ヴィヴィアンは、ファッションとはフランスとイギリスのアイデアの融合であり交換であると考えています。彼女は「イギリスにはテーラリングと気取らない魅力があり、フランスにはより良く洗練されたものを生み出すための常に満足しない姿勢、デザインとプロポーションの堅実さがあります」と語っています。
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 2000〜2016
「Vivienne Westwood:ロミリー・マカルピンコレクション」展が、2000年4月から6月までロンドン博物館で開催されました。
2001年、公式Eコマースウェブサイト www.viviennewestwood.com を開設。
2002年には、香港に1店舗、韓国にも2店舗のVivienne Westwoodブティックをオープン。
2003年6月、ヴィヴィアンはUK Fashion Export Awardのデザイン部門を受賞。
2002/03年秋冬シーズンに、Cosa Coma Commeのショップを通じて、Vivienne Westwood X Commes des Garçonsとのコラボレーションを日本とミラノで発表。
2003年3月、青山に日本のVivienne Westwoodウィメンズウェア旗艦店がオープン。
2003年、英国のファインチャイナ、磁器、高級アクセサリーメーカー、Calportとコラボレーションし、Westwood Home Collectionを発表。
2003年、イタリア、ミラノに新しいVivienne Westwood旗艦店がオープン。
2004年、ヴィクトリア&アルバート博物館で、Vivienne Westwoodのファッションへの貢献を称える回顧展が開催されました。同博物館にとってこの種の展覧会初めての試みでした。
モエ エ シャンドン ファッション トリビュートは、ヴィクトリア&アルバート博物館で個展を開催した最初のファッションデザイナーとして、ヴィヴィアン・ウエストウッドを称えました。
2005年、Vivienne WestwoodはラグとクッションをデザインするThe Rug Companyとの長期的なコラボレーションをスタート。
2006年、ヴィヴィアンは二度目となるバッキンガム宮殿訪問を果たし、当時のプリンスオブウェールズ、チャールズ皇太子殿下からデイムの称号を授与されました。
2007年、ヴィヴィアンはブリティッシュファッションアワードにおいて、ファッションデザイン部門の優秀賞を受賞しました。
2008年10月、表参道に日本のVivienne Westwoodメンズウェアの旗艦店がオープン。
2010年、ヴィヴィアンはフィリップ殿下デザイナー賞を受賞。
2010年、Ethical Fashion InitiativeとArtisan Fashionを支援する国連とのパートナーシップとして、「Made in Kenya」コラボレーションを開始。
2010年、ヴィヴィアンの活動家チーム「Climate Revolution」とそのウェブサイトが立ち上げられました。
2011年、Vivienne Westwoodのロサンゼルス旗艦店がオープン。
2012年、ヴィヴィアンは慈善団体「Cool Earth」に100万ポンドを寄付。
2015年4月、最初のVivienne Westwoodカフェが上海にオープン。
2015年10月、2軒目のVivienne Westwoodカフェが香港のHarbour City Mallにオープン。
2017年、ヴィヴィアンは「Playing Cards」を発表。
2016年~現在
2016年、ニューヨークとパリにVivienne Westwood旗艦店がオープン。
●Vivienne Westwoodの歴史と年代 2017~
2017年4月、パリと同じコンセプトの旗艦店が、銀座シックスにオープン。
2018年、Vivienne WestwoodとBurberryとのコラボレーションを発表。これにより、消滅の危機に瀕する熱帯雨林の保護、地球温暖化対策、生態系の保全、地域住民の雇用創出を目的とした募金活動を行う英国拠点の非営利団体「Cool Earth」を共同支援。
2018年11月、香港のパターソンストリートに旗艦店がオープン。
2019年4月、3年間のAsics X Vivienne Westwoodコラボレーションをスタート。
2019年9月、Vivienne Westwood X Vans Anglomaniaカプセルコレクションを発表。
2019年5月、Vivienne Westwood X Buffaloコラボレーションを発表。
2020年7月、バッグとアクセサリーのVivienne Westwood X Eastpak「SAVE OUR OCEANS」コレクションを発表。
2020年アースデイを記念し、Vivienne Westwoodは環境NPO団体「Canopy」と提携。生地選びを通して森林保護を推進。
2021年12月、上海と北京にVivienne Westwood旗艦店がオープン。
2016秋冬コレクションより、レッドレーベルは統合され「ヴィヴィアン・ウエストウッド」という名前で展開されることになった。また、ゴールド・レーベルは、「アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド(Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood)」に改名された。
2016年8月、メンズとウィメンズのラインを2017年秋冬シーズンより統合することを発表。これまで「マン」のレーベル名でミラノで発表されていたメンズは、「ヴィヴィアン・ウエストウッド」 のブランド名に統一される。
2019-20年秋冬シーズンから、日本で展開するコレクションラインの「ヴィヴィアン・ウエストウッド アングロマニア(Vivienne Westwood Anglomania)」が、「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッド レーベル(Vivienne Westwood RED LABEL)」と統合。“アングロマニア”として展開していた国内店舗は、レッドレーベル コンセプトストアとしてリスタート。
2022年、創業者のヴィヴィアン・ウエストウッドが死去。
2025年3月、日本限定の新ユニセックスライン「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドアンドマン(Vivienne Westwood RED+MAN)」がスタート。2025年7月には、ラフォーレ原宿店を「ヴィヴィアン・ウエストウッド」、「ヴィヴィアン・ウエストウッド マン」「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドアンドマン」を含む複合型ショップとしてリニューアル。
◆パンクを代表するアイテム
・ラブジャケット
ラブジャケットは、Vivienne Westwoodを代表するアイテムであると同時にパンクファッションを象徴するアイテムでもあります。1987年のAWコレクションで初登場し、2015年には復刻されました。テーラードジャケットのパターンを基本としており、襟部分がハートをかたどっているのがポイント。丈は短めで、丸みを帯びた襟がフェミニンな雰囲気を持っているVivienne Westwoodらしいアイテムです。
・アナーキーシャツ
セックスピストルズの「ANARCHY IN THE UK」という曲のために、ヴィヴィアン・ウエストウッドが自らハンドメイドで作り上げたシャツです。ビジネスシャツを染色し、手作業でブリーチすることで、デザインされたストライプシャツに「カール・マルクス」のパッチや「Chaos」と書かれたアームバンド、いくつかのスローガンが書かれているのがVivienne Westwoodのアナーキーシャツです。現在では、他の人物やスローガンが書かれたものも発売されており、Vivienne Westwood以外にも多くのブランドがアナーキーシャツを製作しています。
・ロッキンホースブーツ
1987年のAWコレクションでロッキンホース・バレリーナとして発表したのが最初です。木製の分厚いソールがつま先部分に向けて反りあがっています。足首に靴を固定させるためのバンドがデザインされたものが多く、つま先部分がぽってりと丸みを帯びています。
◆ヴィヴィアン ウエストウッドのロゴの意味
・オーブ
出典 mode.nms.ac.uk
Vivienne Westwoodのロゴである「オーブ」は洋服から小物までさまざまなアイテムに使われています。一体どのような意味を持つのか、気になりますよね。実はイギリス王室に関係が深く、ロゴの誕生にもVivienne Westwoodらしさが隠れています。似ていると言われているHarris Tweedのロゴとのかかわりについても解説していきますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
◆「オーブ」のモチーフや起源
Vivienne WestwoodのロゴがHarris Tweedのロゴに似ていると思った方も多いでしょう。実は、Vivienne Westwoodのロゴの起源はハリス・ツイードのオーブ・マークなんです。双方のロゴのモチーフとなっているのは、女王が国会を開催する時に持つ杖の先端にある王位を象徴する標章「宝珠」です。Harris Tweedのロゴは1909年に英国王室から使用許可を得て作成されました。
オーブは、宝玉とも呼ばれ、王位を象徴している宝器を表しています。これは伝統と格式を意味しています。また、ヴィヴィアンウエストウッドのオーブには周りを取り囲んでいる輪がデザインされています。 これはエリザベス女王の王笏には無い、ヴィヴィアンウエストウッドのオリジナルのデザインです。この輪は衛星を表現したもので、衛星は未来を表しています。未来とは、斬新なものを意味しています。 つまり、伝統を表すオーブと、未来を表す衛星を合わせることで、伝統と未来の融合、格式と斬新さの相反する二面性という、ブランドコンセプトを表現しています。
このブランドロゴが使われ始めたのは、1984年ごろで、丁度ヴィヴィアンウエストウッドがファッションの方向性を、前衛的で斬新なストリートから伝統へと転換した時期と重なります。 この頃から、デザインが19世紀より以前のヨーロッパの衣装にインスパイアされたエレガントで格式ある路線へと変更されていきました。 その結果、反逆性と格調という、相反する二面性を合わせ持つ独特の世界観を演出することに成功しました。オーブのロゴにおいても、伝統ある英国王室に敬意を表しながらも、その王室の宝器をパンクの象徴としてパロディーにしているのです。
◆「転換期」コレクション (1984年~)
・1984年「クリント・イーストウッドコレクション」
出典 viviennewestwood.com
ウエスタン映画への憧れがこめられたコレクション。存在しないファンタジックな人物に思いをはせる必要があるというコンセプトを持っており、この頃からロゴとしてオーブを使い始めています。それまでストリートスタイルを貫いていたVivienne Westwoodでしたが、伝統を取り入れ始めたのもこの頃です。ビクトリア朝時代に着られていたクリノリンとシュシュを組み合わせたミニ・クリニは、それまでタイトなスタイルが多かった当時の人々に衝撃を与えました。
・1987年「ハリス・ツイード」
出典 flickr.com
英国王室と伝統的なファッションへのこだわりを表現したシーズンです。ハリスツイードを使用したジャケット・サヴィルロウで仕立てられたジャケット・ジョンスメドレーとのコラボニットなどイギリスの伝統に焦点を当てて製作されています。ラブジャケットが初めて発売されたのもこのコレクションです。このコレクションのアイテムの多くが、現在もクラシックコレクションとして存在しています。
◆オーブの代表アイテム
・オーブライター
オーブライターとは、センターにオーブのモチーフがついているライターです。立体的なモチーフがついているものから、オーブが彫られたものまで多くの種類があります。現在では、ガスとオイル両方のライターが販売されています。今まで公式に販売されてきたものは販売期間が短く、すぐに売り切れてしまうため、人気のデザインや希少価値の高いものは、リセールバリューがあります。
・ジャイアントオーブネックレス
ジャイアントオーブネックレスは、オーブ立体的なモチーフにチェーンが付けられているネックレスです。カラーやディティールのデザインが異なるモデルがこれまでに多く発売されていますが、現在公式には販売されていません。ごくたまに、限定復刻版として公式に販売されることがあるため、ジャイアントオーブネックレスを探している方は、復刻版の販売を待つか、セカンドオーナーとして入手する必要があります。
・アーマーリング
中世の騎士の鎧をモチーフとして作られたリングで、パンクファッションを象徴するアイテムでもあります。息子がデッサンした鎧から、ヴィヴィアン・ウエストウッドがインスピレーションを受けて作ったと言われています。Vivienne Westwoodのアーマーリングには、オーブのマークがついており、一目でブランドがわかるデザインです。現在でも公式から発売されており、高い人気を得ているアイテムです。
■マルコム・マクラーレン
彼が居なければ、ヴィヴィアンウエストウッドもピストルズも、この世に誕生していなかったかもしれません。
1946年のロンドンで生まれたマルコム・マクラーレンは、小さい頃に両親が離婚してからは、祖母の家で育つことになります。服飾工場を持つ母の影響でマルコムも自然とファッションに興味を持ち、デザイナーを目指すようになりました。 ファッションがごく身近にあった環境もあり、若いうちからデザインや裁縫を学んだマルコムは、ロンドン大学を卒業後、いよいよファッションデザイナーとして本格始動します。 1970年代のロンドンといえば、ヒッピーが流行し下流階級の若者たちが自由を主張していた時代です。当時のマルコムは、無政府主義団体としての活動も行っていました。
ヒッピー文化や流行りを嫌う彼が注目したものは、1950年代に広まったテディボーイ(不良)スタイルやロカビリーです。そんな中、ファッションに対して同じ思想や情熱を持つヴィヴィアン・イザベル・ウエストウッドと運命の出会いを果たすことになりました。 イザベルとの間には、一人の男の子を授かります。公私ともにパートナーとなった二人が1971年に初めて出店したブティックが、レット・イット・ロックです。
その後店名やファッションのコンセプトを変え、1974年には、セックスに改名した際には、挑発的な言葉をプリントしたTシャツなどエキセントリックなアイテムを販売します。 こうしたメッセージ性の強いファッションに共鳴したのは、抑えきれない衝動を抱える若者たちでした。
デザイナーの仕事をしながら、ニューヨーク・ドールズというロックバンドのマネジメントにも携わっていたマルコムは、店の常連客をスカウトし、ドールズを超える過激なバンドを作ろうと目論見ます。 そして誕生したのが、後にパンクロックという新たなジャンルを確立するセックス・ピストルズです。 マルコムはピストルズのメンバーに反社会的な楽曲をつくり、過激な振る舞いをするようプロデュースしました。ピストルズの存在は、イギリスを超えて瞬く間に世界中に知れ渡ります。 反逆精神の強い歌、アバンギャルドなファッション、過激なパフォーマンスなど、ピストルズのすべてが若者たちの欲求を代弁してくれていました。
歴史的にも音楽界にも影響力も持ったパンクロックの一大ブームが巻き起こりました。このすべての仕掛け人は、マルコム・マクラーレンでした。 1983年、ヴィヴィアンウエストウッドのウィッチーズコレクションを最後に、イザベルとのパートナーシップを決裂しました。その後は、常に新しいサウンドを取り入れるなど実験性の強いクリエイティブな活動を行っていましたが、2010年に中肉腫のため64歳でパンクな生涯を終えました。
■Vivienne Westwood コレクション 歴史 年代
1981SS ファーストコレクション。パリコレクション。「パイレーツコレクション」★スクイグル柄が登場。
ヴィヴィアンの象徴的なテキスタイルのスクイグル柄はファーストコレクションから登場。
1982SS 「Savage」– 日本風の平面的なカッティング。– インスピレーション:マティスとピカソ。–「私は、ピカソが絵画『アヴィニョンの娘たち』で行ったように、他の文化からインスピレーションを得たのです」(ヴィヴィアン)– デヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』から着想を得た外国人部隊のハット。
1982AW 「Buffalo Girls (Nostalgia of Mud)」–下着をアウターウェアとして使用。ボーラーハットとロングスカートを身につけ、背中に赤ん坊を背負って踊るペルー女性。
1983SS 「Punkature」– インスピレーション:映画『ブレードランナー』パンクとクチュール。手染め、手縫い。貧民街で集めた廃タイヤとひもで作った靴。ブリキ缶のジャイアントボタン。ジャージーのチューブスカート。
1983AW 「Witches」– インスピレーション:キース・ヘリング。魔法の記号や象形文字のように見えた彼の作品に着想を得る。ヒップホップ。ストップフレームルック。3枚のシュータンでカスタマイズされたホワイトスニーカー。チコ・マルクスが被る先端が尖ったハット。
1984SS 「Hypnos」–インスピレーション:セクシャルマイノリティのサブカルチャー。イメージ:ギリシャ神話の眠りの神(睡眠とは無関係のコレクション)スポーツウェアをハイファッションとして捉えた非常にアクティブなコレクション。イタリア製。 ヘルペスの傷風のメイクアップ。マルコム・マクラーレンとの決別。
1984AW 「Clint Eastwood」「時には何もない景色に自分のアイデアを投影し、ファンタスティックな人々を思い描くことが必要です。」(ヴィヴィアン)企業のロゴで覆われた服。– 東京のネオンサインから着想を得た蛍光色。
1985SS 「Mini-Crini」–インスピレーション:ペトルーシュカ。大きな方向性の変化。体にフィットした服。英国式のテーラリング。少女時代のエリザベス女王から着想を得たプリンセスラインのコート。– 1980年代のマニッシュな大きなショルダーデザインの排除。– セクシーで曲線的なボディのモデル。– ヒップに注がれる視線。★Rocking Horse 登場。
1987AW 「Harris Tweed」ロイヤルファミリーから着想を得た、かわいらしさのあるテーラードルック。18世紀風のコルセット仕様。– 上質なツインセット。– レッドのバラシアのミニクリニ。
1988SS 「Britain Must Go Pagan」– 神話、ギリシャ・ローマ時代がテーマ。– 招待状のタイトルは「England Must Go Pagan(イングランドは多神教へ)」でした。– 18世紀と19世紀の啓蒙時代を探求。– 古代ギリシャ・ローマの文学を参照。– 典型的なかっちりとしたスタイルのアイテム、テーラード、細身のクロップド・トルソー。
1988AW 「Time Machine」– H.G.ウェルズの小説にちなんだコレクション名。Harris Tweedのテーラードスーツ。ウォレス・コレクションを初めて参照。– 英国の文化と伝統を考察。– アガサ・クリスティが生み出したキャラクター、ミス・マープルへの献呈。– メンズのノーフォークジャケット。
1989SS 「Civilizade」– 教育的ツールとしてのファッション。– 現代社会。– アーマードジャケット、ラグビージャージー、道化師。神話の獣たち。 拡大したアニマルプリントが初登場。
1989AW 「Voyage to Cythera」– インスピレーション:ヴァトー、コンメディア・デッラルテ、バレエ・リュス、ズボンを忘れた男。スカートなしで履くタイツ。古典的なヌードと古代彫刻。ホメロス風のテーマ。
1990SS 「Pagan V」– 招待状は下着に合わせてスケッチされた男性器。ヘレニズム期ギリシャの哲学を探求。斜めにかぶったセーラーハット。ふんだんに使われたピンストライプ。HMS ARGOのプリント。パジャマスーツ。ルーブル美術館の花瓶。ランプシェードの配線。
1990AW 「Portrait」インスピレーション:油絵 – 質感の華麗さと物質的豊かさの提示。リネンのアンダーウェアから(フェイク)ファーまで、あらゆる最上の素材への渇望。ウォレス・コレクション所蔵のブールによるデザイン家具。ブーシェ作の絵画「眠る女羊飼いを見守る羊飼い」を写真プリント。まるで絵画の世界から出てきたような、女性が台座に立つように見せる高いプラットフォームシューズ。
1991SS 「Cut and Slash / Pitti Uomo」インスピレーション:16世紀から17世紀にかけて200年にわたって続いた戦いから着想。布に裂け目を入れる装飾。– コッドピースのリバイバル。– ランウェイを駆け抜ける剣士。イギリス刺繍プログラム。ボリューム感のある手編みニット。
1991AW 「Dressing Up」あからさまなマキシマリズム。比喩と象徴の再創造。ブール柄。プリューデンスミリナリーとの初のコラボレーション。フィットしたタイトサイズと極端なオーバーサイズの対比。長めのヘムライン。レザーのコッドピーススカート。
1992SS 「Salon」インスピレーション:「エリート主義と知識人」ジェンダーの境界。豪華絢爛な18世紀の世界を転写プリントでデニムに表現。ベレーとスモック。チュールのボールガウン。カットアウトレザー。
1992AW 「Always on Camera」インスピレーション:1930年代のハリウッド。– 映画スターのステレオタイプ。 世界大恐慌と不況。アンドレアス・クロンターラーと同様ドイツにルーツを持つ、ミューズとしてのマレーネ・ディートリッヒ。自由の女神像コルセット。パッド入りモヘアニットウェア。俳優としてのモデル。
1993SS 「Grand Hotel」スピレーション:サンローランとディオールのシェイプ。– グレタ・ガルボ主演の1932年の映画にちなむ。フルスカートのボールガウンがVivienne Westwoodのモチーフに。ホテルロビーでのランデブー。パジャマの襟。ヴィヴィアンが初めてモデルを務める。絶滅危惧種のアニマルプリント。インロング丈の「Circle」スカート。ヴィヴィアンが大英帝国勲章(OBE)を受章した際に着用したグレーのスーツ。
1993AW 「Anglomania」ゲインズボロが活躍し、フランス人がイギリスのテーラリングと田園地帯の魅力に夢中になった時代 イブニングドレスの礎としてのコルセット。愛国心。イギリス人の目を通して見たフランス美術。ヨーロッパ文化への親近感。Elevated Ghilli ヒールを着用したナオミ・キャンベルの転倒。スタウト・ツイード。夫に捧げるタータンチェック「MacAndreas」。ダブルブレストのスーツ。ウールのケープ。★Vivienne Westwood Gold Labelの誕生。
1994SS 「Café Society」サロンの延長としてのカフェ。19世紀のフランスオートクチュールの創始者、シャルル・フレデリック・ウォルトへのオマージュ。砂時計シルエットと、クッション付きのバッスルが始まる。★この頃までには、アンドレアス・クロンターラーとのコラボレーションにより、ガウンとトレーンのボリュームは過去最大に。クリノリンガウン。ニットのタッセル。マイクロミニスカートを履いたトップレスのケイト・モス。– フェイクファーの重ね着。
1994AW 「On Liberty」インスピレーション:イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。個人の自由を強調。「クチュールは大量生産と並行して存在しなければならないのです」(ヴィヴィアン)現代的なプロポーションのリセット。バム・パッド。プロポーションの歪み。ロンドンのリバティ百貨店のプリント。豊満な女性的なフォルムを賛美。
1995SS 「Erotic Zones」極端なシルエット。英雄的な女性像。女性の性のパワーをオーディエンスに思い起こさせる。アンドレアス・クロンターラーの父が考案した「Cul cage」ワイヤーバッスル。
1995AW 「Vive la Cocotte」パッド入りのバストと、軽量の金属製ケージで構成したバッスルが生み出す、全く新しい究極の砂時計型シルエットへの到達。非常な高さを誇るプラットフォーム。ヴィヴィアンは2つのコレクションを作る必要がありましたが、そのうちの1つは販売を意識してシルエットを控えめにしていました。「Metropolitan」ジャケット。
1996SS 「Les Femmes Ne Connaissent Pas Toute Leur Coquetterie」インスピレーション:ヴァトーの絵画「ジェルサンの看板」。リラクシングなシルエット。誇張を控えたデザイン。マリー・アントワネットの肖像画。レディライク。太いサテンリボンをあしらったドレッシングガウン。
1996AW 「Storm in a Teacup」極端なアシンメトリーの追求。装飾的なロココ調家具。予測不可能なイギリスの天候。ピンストライプ、タータン、ツイード。調和ではなく、衝突。「画一化とミニマリズムの恐怖に立ち向かいます」(ヴィヴィアン)ブラウンのチョークストライプの「Watteau」ジャケット。
1997SS 「Vive la Bagatelle」「細かいことにはこだわらないが、自分がすることの選択にはこだわることができる」女性に捧げます(ヴィヴィアン)。バイアスカット。熟したフルーツのプリント。シャツの上にカモフラージュされたデミカップブラ。ボンデージストラップと目隠しの花嫁。「Bagatelleとは何の意味もない、些細なことを指します」(ヴィヴィアン)。
1997AW 「Five Centuries Ago」インスピレーション:チューダー様式とジャコビアン様式。非常に構築的なデザイン。スカートのスリットと露出したサスペンダー。ホルベインの肖像画。エリザベス様式に傾倒。
1998SS 「Tied to the Mast」船乗りのほら話。テオドール・ジェリコーの絵画。再デザインされた「Pirate」ブーツ。ウィメンズウォーキングスーツ。クリスタルローププリント。塩じみ、日焼けによる色褪せ。アイパッチ、地図で作ったハット、ブリガンドハット。– エリザベス一世に想いを馳せて。
1998AW 「Dressed to Scale」 変異と混沌。肩までの長さのラペル。オーバーサイズのボタン。ボディラインをなぞるカッティング。アンドレアスの幼少期の伝統的な衣装。風刺画を見る。18世紀の風刺作家、ジェームズ・ギルレイ。 文化の本質は、できるだけ人の手で作り上げられるべきです」(ヴィヴィアン)グレーのストレッチウールの「Amphora」ジャケット。
1999SS 「La Belle Helene」インスピレーション:ルーベン。– サテンとレースのタイポグラフィー。新学期。 1953年のマティスのコラージュ「かたつむり」。– 鉛筆によるいたずら書き。
2000SS 「Summertime」20世紀最後のコレクション。インスピレーション:バッカス祭。フェラチオをピクセル化したプリント。– 「Bestial」シューズ。「Booze」ジャケット。–草のシミとこぼれた赤ワイン。
2000AW 「Winter」インスピレーション:シェイクスピアの『恋の骨折り損』フリンジウールのフード付きマント。重厚なシルバーのだまし絵ジュエリー。トレイシー・エミン。 16世紀と17世紀。
2001SS 「Exploration」文学への頌歌。「私の人生において、読書はファッションよりも大きな情熱です」(ヴィヴィアン)アリストテレス、オルダス・ハクスリー、バートランド・ラッセル。– クラパム地区の自宅のアンドレアスとヴィヴィアンの本棚の写真「Bookbinder」プリント。 本のページのように折りたたまれた長方形の布。 パイプを吸う知識階級への皮肉。
2001AW 「Wild Beauty」コーラ・コレ(ヴィヴィアンの孫娘)が3歳にして初めてランウェイに登場。 動物の皮のような曲線的な縫い目とジグソーピース。性的不品行。
2002SS 「Nymphs」フラゴナール、ブーシェ、ヴァトー。神話の中の牧歌的な田園詩。伝統的なストライプのラグビージャージー。意図的な凹凸。「信じられないほど生き生きとして、張り詰めた表情をしています」(ヴィヴィアン)
2002AW 「Anglophilia」–「Anglomania」の第二弾。– ヴィヴィアンお気に入りのレッドドレス。エリザベス二世女王陛下のシルバージュビリー。ホルバインとブーシェ。– 英国性へのフェティシズム。リボンとツイード。
2003SS 「Street Theatre」日常のスペクタクルとパフォーマンスとしてのファッション。パンクに由来するもの。リバーシブルのファインウール。
2003AW 「Le Flou Taille」 流動性。– オートクチュール、テーラリング、ゆったり感。「ウェアはとても自然に見えますが、その内側で信じられないほどしっかりと構築されているのです」(Vogue誌に語られたヴィヴィアンの言葉)
2007SS 「I Am Expensiv」 ディズニーキャラクターをユニバーサルな表現として使用。–「愛らしいヒロインと、嫌悪感を抱く悪役」(ヴィヴィアン)
2007AW 「Wake Up Cave Girl!」– 女性の体型の極端な誇張。「布で作る彫刻」(ヴィヴィアン) 『原始家族フリントストーン』にちなんで名付けられたドレス。ファンデーションコルセット。『セックス・アンド・ザ・シティ』でキャリーが着たタフタのウェディングドレス。
2008SS 「56」–2007年7月、英国政府は、裁判なしで人々を56日間投獄する対テロ法案を提案しました。これは、従来定められていた期間28日の2倍に当たります。インスピレーション:17世紀の貴婦人と娼婦。「もし、マリリン・モンローが田舎の領地を持つ英国の領主と結婚して倒錯的な関係を築いていたとしたら、どうなるでしょう!」(ヴィヴィアン)
2008AW 「Chaos Point」小学校とのコラボレーション。ジャングルの自由の戦士たち。混沌と積極的抵抗のシンボル。環境危機は転換点を迎えている。演劇的で魔法的。
2009SS 「Do It Yourself」「困難な時期こそ、ドレスアップしましょう。自分でやるのよ!」(ヴィヴィアン) テーブルクロス、安全ピン、カーテン。シグネチャーコルセット。リサイクル。
2009AW 「+5°」– インスピレーション:画家アンドレア・マンテーニャの色彩と技法。ルネサンス時代の鎧をニットウェアで表現。パメラ・アンダーソン。ジェームズ・ラブロックの生態学的「ガイア」仮説。コレクションのタイトルは、気候変動が地球の気温を新たな均衡状態へと変化させ、壊滅的な結果をもたらすという科学的主張にちなんで名付けられています。
2010SS 「Get a Life」 ヴィヴィアンのアクティビズムのユニフォーム。ラブロックの生態学的理論第2章。プラスチックの袖。– パウダーをのせた顔、高く盛りあげたポンパドール。炎のように燃え上がる髪。細く裂いたリボン。
2010AW 「Prince Charming」パントマイムの「Principle Boy」ジェンダーの曖昧化「グリム童話の黒い森で出会えるような人たち」(ヴィヴィアン) ペンシルで描いた口ひげ。
2011SS 「Gaia The Only One」曲線美、官能性、そしてハイパーフェミニンに特化。テーマはマティス、コンメディア・デッラルテ、バレエなど。 ツタンカーメン、能、ペルーの山岳地帯で「太陽との結婚を待つ」少女たち。ハートのドレス。チュチュとランプシェードのスカート。
2011AW 「World Wide Woman」女性の主体性とパワー。母なる大地。「社会の絆を築くのは女性たちです」(ヴィヴィアン)。中世の象徴の顔を織り込んだ金のブロケード。ビザンチン様式のジュエリー。鎧としてのテーラリング。「女性たちは文化の守護者であり、とりわけ、サロンの創設において重要な役割を果たしました(ナポレオンは将軍たちを貴族に列する際、彼らの妻がサロンを開くことを条件としました)」(ヴィヴィアン)
2012SS 「War and Peace」 儒教。中国とトゥアレグ族のドレス。オーバーサイズの伝統的コルセット。 鎧としてのツイード。オーディエンスは地球と科学を繋ぐ「家系図」を受け取りました。進歩と質。
2012AW 「London」17世紀。「私は歴史的な参考資料に頼っています。また優れた頭脳を持つ方々と関わることで、過去を、自分のファッションとして捉えようとしました」(ヴィヴィアン)。アンドレアスのロンドンに対する愛。非処理の裾。子供たちの絵。
2013SS 「Climate Revolution」甲虫の関節と色彩。ベラスケスの絵画。中国の茶箱に見られる模様。曲線模様のプリント。「Clomper」シューズ。廃棄物削減技術。「Square」Tシャツとドレス。ケイト・モスのキャンペーン。2012年ロンドンパラリンピック閉会式。
2013AW 「Save the Arctic」中世ヨーロッパ。デザイナーは常にヴァーチャルリアリティを創造すると私は信じています。彼らは存在しない場所、より良い場所のために服を創造するのです」(ヴィヴィアン)
2014SS 「Everything is Connected」シェイクスピア作『尺には尺を』巡礼者が履くサンダル。飛び散った泥。リサイクルされたサングラスのレンズを縫い込んだ刺繍。フリーダ・カーロの図像の参照。
2014AW 「Save the Rainforest」オートクチュールの創始者、シャルル・フレデリック・ウォルトへのオマージュ。フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターが1865年に描いたオーストリア皇妃エリザベートの肖像画。ミリタリー作業着。反フラッキングのスローガン。
2015AW 「Unisex – Time to Act」「バイセクシャル」ルック。–元を露わにした男性「ウエストウッドの花嫁」「新しいからこそ、とてもセクシーなのです。それは、その人を外側から見させてくれます」(ヴィヴィアン)
2016SS 「Mirror the World」ルネサンス期のヴェネツィア。– ベッリーニ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ。15世紀のムラーノ島の鏡製造。ヴェネツィアのカルネバーレの異教的起源。高床式の宮殿を表現した、モデルの頭上の構造物に吊るされたジャケット。ベル・エポックの帽子。Gold Labelとしての最後のショー
2016AWのパリファッションウィークは、ブランドにとってのエキサイティングな新章の幕開けとなりました。ヴィヴィアンの長年の夫であるアンドレアス・クロンターラーが、Gold Labelに代わり「Andreas Kronthaler For Vivienne Westwood」と銘打ち、初めて自身の公式コレクションを発表しました。Vivienne Westwoodのメインラインはこれとは別に、引き続き年に2回コレクションを発表していきます。
2016AWパリコレクションより、レッドレーベルは「ヴィヴィアン・ウエストウッド」という名前で統合されることになった。
また、ゴールド・レーベルは、「アンドレアス・クロンターラー フォー ヴィヴィアン・ウエストウッド(Andreas Kronthaler for Vivienne Westwood)」に改名された。
2016年8月、メンズとウィメンズのラインを2017年秋冬シーズンより統合することを発表。これまで「マン」のレーベル名でミラノで発表されていたメンズは「ヴィヴィアン・ウエストウッド」 のブランド名に統一される。
2019AWシーズンから、日本で展開するコレクションラインの「ヴィヴィアン・ウエストウッド アングロマニア(Vivienne Westwood Anglomania)」が、「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッド レーベル(Vivienne Westwood RED LABEL)」と統合。“アングロマニア”として展開していた国内店舗は、レッドレーベル コンセプトストアとしてリスタート。
Vivienne Westwoodメインラインの会場で開催されるショーは、2019年秋冬ロンドンファッションウィークが最後となりました。以降のショーは環境配慮の理由から、デジタルメディア上で発表することとなりました。
2022年、創業者のヴィヴィアン・ウエストウッドが死去。
2025年3月、日本限定の新ユニセックスライン「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドアンドマン(Vivienne Westwood RED+MAN)」がスタート。2025年7月には、ラフォーレ原宿店を「ヴィヴィアン・ウエストウッド」、「ヴィヴィアン・ウエストウッド マン」「ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドアンドマン」を含む複合型ショップとしてリニューアル。